生みの父親

生みの父親

最近、梅雨のせいかちょっと調子が悪いというか何事にもやる気がわかない。この原因はなんだろなぁと、考えてみるが、考えるのも面倒になってしまう。なぜかなんとなく、つげ義春を読んでしまうような毎日。

そうだ、親父の事を書かないと、と思っててそのままにしてるせいかもしれないので、とりあえず書いてみます。

僕には親父が2人いるが、生みの親?血の繋がってる方のことを書いてみる。

子供の頃の親父の記憶、全くない。いやウソ、5歳くらいからの親父の記憶はある。聞いた話では、2歳になるまで親父は塀の中にいたため会った事がないらしい。なんでも気持ち良くなる草を持っていたせいでそんな事になったそうな。
多分2歳とかの頃は記憶が曖昧だから思いだせないのだろう、自分の1番古い記憶はトイレに落っこちてビックリした記憶。じいちゃんの驚いた顔が浮かんでくる。
あとから聞いた話ではじいちゃんがウンコさせようとして、洋式トイレに座らせたら落っこちてハマってしまい取れない取れないと大騒ぎになったそうだ。
これが一番古い記憶というのはなんともやるせない。

親父はバイクに乗っていたので、座席の前に座らせてもらって、よく保育園に行っていた事を覚えている。狭い住宅地の道を爆走して喜んでいた記憶だ。
子供の頃は映画館や山によく連れて行って貰った。山が特に楽しかった。山好きはここから来ているのだろう。
あとスキーやなんかで長野の方にも良く連れて行って貰った。なんやかんやで、色々な所に連れて行って貰った事を思い出す。

親が別居してからもしょっちゅう親父の家には遊びに行っていた。東中野のアパートは新宿にも近く、音楽好きの自分としてはレコード屋巡りの一環として寄る感じだった。レコードやサブカル系の雑誌が沢山おいてあり、60年代のレコードを聴きながら宝島を読むのが何より楽しい、そんな中学時代だった。(今からは考えられないが、あの頃90年代初期の宝島はホントやばかった、大槻ケンジのコラムは秀逸だった)
いつも親父の家行く時はアポ取らず呼び鈴も鳴らさずいきなりドアを開けるのを常としているのだが、ある日ドアを開けたら裸の女の人が出て来てしまい、なんかの拍子で母親にこの話しをしてしまい、離婚が決定的になったのだった。

親父に殴られた事はない、怒られたり説教される事すらなく、全く威厳のない人プラス変人だと思って自分は接していた。完全に父親の事はバカにしていた。親父も父親らしい事が出来ていないという思いがあったのか子供相手に恐縮していて、その態度にイライラしていた。
一時期はテレビの仕事をやり父親らしい頃もあったのだが、バブルの頃に周りに踊らされたのか映画の製作会社を作り、それが失敗しても映画の想いを断ち切れずにインディーズ映画を作り始め、家庭は棄てたのだった。
今でも莫大な借金を背負って映画を作り続けているそうで、さらにこの前は再婚した人から双子が生まれたとかで、バイトやら子育てで大忙しの毎日らしい。

先日、親父のドキュメンタリー映画を撮ってるという人から連絡が来て取材させて欲しいというので受けたのだが、そんな親父の近況を事細かに話してくれた。
生きざまが危なっかしすぎて、見てるだけで面白いから映画にしようと思った、とそのドキュメンタリーの人は言い、映画監督として尊敬しているわけではないのがウケた。
70近くになって周りに迷惑かけまくってなにやってんだか、とはんば呆れてしまったが、その年になってもバイトしながら映画を作り続けるというバイタリティーは逆に凄いなー、と不覚にも呆れを通り越して初めて親父に尊敬を覚えてしまった。
こんな事を思うなんて自分もそれだけ歳を取ったのだろう。
この人はまだまだ長生きしそうです。

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